仮想通貨は国民国家という共同幻想を終わらせるか

通貨の大きな役割は、人と人を信用でつなぎコミュニティを形成するための接着剤のようなものだと思う。かつて、通貨は貝殻や金塊だったが、今は国が発行する法定通貨と呼ばれるものである。

私達が日本人であるという認識は、法定通貨JPYによって下支えされた共同幻想である。法定通貨JPYを稼ぐことができ、法定通貨JPYで生活できる経済圏を日本と呼び国家と呼んでいる。

つまり国家とは法定通貨によるコミュニティであり、法定通貨JPYのコミュニティに日本というラベルが貼られているに過ぎないという見方もできる。かなり大雑把な見方であるが。

仮想通貨で直接生活に必要な物資を売買できるようになると、法定通貨JPYを使わない人が増える。相対的に法定通貨JPYの価値は下がることになる。そして仮想通貨は新たな経済圏、コミュニティを作るだろう。その時、私たちは日本人という共同幻想から別の新たな共同幻想の社会へ移ることになる。

国が税金を徴収して成り立っている公共事業はどうなるだろうか?私は税金なしでも成り立つのではないだろうかと思う。地域に必要なインフラは、その地域に住む人にとって必要不可欠なものだから、そのインフラ事業に対して直接投資するインセンティブは十分にあるからだ。また、そのように行政を中抜きした方が、資金巡りが効率化され、無駄な公共事業はなくなっていくことも考えられる。

法定通貨を使わなくなることで、日本人としてのアイデンティティがなくなるというのは言いすぎかもしれない。言語、文化の違いによるアイデンティティは当面は残るだろう。ただ、よりローカルな、例えば郷土愛、地元民意識の方がアイデンティティとして強くなる気がする。相対して日本人というぼんやりとした大きな集団意識は薄れていくのではないか。

世界中の国々の人々が法定通貨より仮想通貨を使うようになり、今の地方自治体くらいの単位の経済圏と、仮想空間上にある地理的境界を超えた経済圏の両方、複数に属することになるかもしれない。そうなれば、世界中の人々が国民国家主義という共同幻想から目を覚ますことになるだろう。

国家間の経済格差による争いの火種を消すのは難しい。行き来が自由な分散化された経済圏、仮想空間にしか存在しない経済圏があるなら、人々は自分の不遇を国家や隣国のせいとは考えなくなるだろう。国民国家主義という共同幻想の終わりは、平和な社会の実現に向けて、人類を一歩前へ進めることになるかもしれない。